「煎茶」という文字の意味
今 日本茶といえば「煎茶」ですが、なぜ「煎じないお茶」を「煎茶」というのでしょうか。
茶聖と呼ばれる『茶経』を書いた陸羽は「性茶を嗜み、始めて煎茶の法を創む」といいました。また当時陸羽と並ぶ茶人の玉川子盧仝は「煎茶歌」を作り茶を称えています。 この頃はまさに煎じる茶(煮込むお茶)でした。
宋代には粉末にしたお茶にお湯を注いで茶筅で泡立てて飲む抹茶が流行し、栄西によって日本にもたらされ、茶の湯として独自の進化をたどります。
中国では葉茶を急須に入れてお湯を注いで飲む淹茶の時代となり、隠元禅師により日本に持ち込まれます。
その侍僧の月譚道澄も「煎茶歌」を作り当時名物主義になっていた茶の湯に対し「風雅清貧の茶」として「煎茶」を主張します。 それは煎茶道中興の祖と呼ばれる売茶翁に強い影響を与え、幕末の志士、文人の間で煎茶道が流行し幕末・明治にかけ茶の湯を圧倒するようになっていきます。
このようにして現在は、煎じるお茶ではない 急須に入れてお湯を注ぐお茶を「煎茶」と呼ぶようになったのです。
そしてその日本でのルーツは、中国から帰国した僧・永忠が嵯峨天皇に奉御した時の、『日本後紀』弘仁六年四月二十二日に書かれたものにあると言えます。
そして、この「煎茶」の文字は、日本で記録された最初の茶の記録と言われています。
この史実に基づいて、4月22日を日本における「煎茶の日」と定めます。
今 日本茶といえば「煎茶」ですが、なぜ「煎じないお茶」を「煎茶」というのでしょうか。
茶聖と呼ばれる『茶経』を書いた陸羽は「性茶を嗜み、始めて煎茶の法を創む」といいました。また当時陸羽と並ぶ茶人の玉川子盧仝は「煎茶歌」を作り茶を称えています。 この頃はまさに煎じる茶(煮込むお茶)でした。
宋代には粉末にしたお茶にお湯を注いで茶筅で泡立てて飲む抹茶が流行し、栄西によって日本にもたらされ、茶の湯として独自の進化をたどります。
中国では葉茶を急須に入れてお湯を注いで飲む淹茶の時代となり、隠元禅師により日本に持ち込まれます。
その侍僧の月譚道澄も「煎茶歌」を作り当時名物主義になっていた茶の湯に対し「風雅清貧の茶」として「煎茶」を主張します。 それは煎茶道中興の祖と呼ばれる売茶翁に強い影響を与え、幕末の志士、文人の間で煎茶道が流行し幕末・明治にかけ茶の湯を圧倒するようになっていきます。
このようにして現在は、煎じるお茶ではない 急須に入れてお湯を注ぐお茶を「煎茶」と呼ぶようになったのです。
そしてその日本でのルーツは、中国から帰国した僧・永忠が嵯峨天皇に奉御した時の、『日本後紀』弘仁六年四月二十二日に書かれたものにあると言えます。
そして、この「煎茶」の文字は、日本で記録された最初の茶の記録と言われています。
この史実に基づいて、4月22日を日本における「煎茶の日」と定めます。
煎茶の日制定にご賛同いただける方は、お名前をご記入ください。
お名前は出来る限りご本名でのご記入を希望しますが、
ハンドル名、団体名、でもかまいません。